失礼な人と礼儀正しい嘘つき。

October 1, 2009

スウェーデンの一番有名なことは多分この四つぐらいです。 金髪の(女の)人 皆はエッチが好き 社会医療制度 男女平等 大体その順番で。スウェーデンに行ったことのある人では後一つ増える可能性が高いのです:「サービスが最悪だ」。 一般的にお店に入っても店員達の「いらっしゃいませ~」どころか、誰にも何の反応もありません。レジで買いたいものを置けると「ありがとう」と言われないし、笑顔もしてもらわないのが驚くことではありません。店員と客が喧嘩するのも時々あります。「お客様の意見はいつも正しい」とか、そういう考え方はありながら、なかなかありません。 日本では店員対客だけではなく、社会中にいつもどこでも礼儀正しさが大切にされているでしょう。一方スウェーデンでの「礼儀正しさ」というのは「目立つな」と意味されています。一人で外にいる場合では「目立つな。話すな。」という感じです。これは得にストックホルムの状況ですが、似たような話はスウェーデンのあらゆる所から聞いており、自分で北の方に住んでいた時にもそう感じられました。 日本人の友達によるとその礼儀正しさはどこまで及ぶかといえば、目上の人と話すとき、相手の言っていることに賛成ではなくても時々賛成だというようなことを言った方が良いのだそうです。相手が困ることはしてはいけないわけです。同じようにお酒が飲めない人であっても会社のパーティーに参会せざるを得ないだけではなく、上司や先輩が自分のコップを注ごうとしたら断ってはいけません。僕にこれはちょっと解りにくいことです、やっぱり。 いらっしゃいませ! ありがとうございました! またお越し下さいませ! お待たせしました! 失礼します! 今まで何回言われたのでしょうか。最近コンビニによく寄るのでせめて一日二、三回ぐらいでしょう。何百回にまで上りますね。 しかし、店員の笑顔と店員の言葉は、店員の気持ちと関係がありません。言うべきであれば言う、すべきであればする、そう考えて動きます。スウェーデンでも子供たちがおばあちゃんからプレゼントをもらうとき必ず喜ばなければならない(どのぐらい馬鹿馬鹿しい物であっても)とか、カップルが人の前で喧嘩をしてはいけないとか、色々あるのですが、量も程度も違います。スウェーデンが本当の気持ちを大切にしているというより寧ろ、日本がそれを大切にしていないという感じがします。 「またお越し下さいませ」と言われても、相手が本当に「また来たらいいなぁ」と思うはずがありません。行ってほしいどころか、忙しい日には行かないでほしいのではありませんか。「失礼します」と言われると「本当に失礼だと思ったらしないでよ」と言いたくなります(ちょっと悪戯っぽい感じですが、それは…)、「お邪魔します」というのも、邪魔すると思うのならするなって感じです。 上の例文は全部言い方だけで、意味が違うからその意味が伝わっているのならそれでいいのだと、僕も解ります。実は「お邪魔します」とか「失礼します」とかは面白い言い方だと思いますし、嫌いでもないです。だがポイントは「これはダメだから止めましょう」のではなく、「自分の気持ちを伝えるのがどこにいったのでしょう」というのです。 友達と一緒にいるとき、自分の気持ちを見せると言ってもそれは必ずしもそうでもないです。民主主義に参加できなくても友達の意見を影響することが出来ないのではないかという話をしたとき、「多分、相手が正反対だとしても『そうですね~』とかニコニコしながら言うから話にはならないよ。」と言われました。 実状はどうか知りませんが(調査など行ったわけないし)、これは問題なのではないかと思ってしまいます。

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教師とは

September 5, 2009

スウェーデンでは、教師である人々は一般的に生徒たちの意見や考え方に興味があります。全然興味がなく、ただ仕事だと思っている教師もいるでしょうが、僕はそういう話は聞いたこともなく、そういう教師と遭ったこともありません。特に作文(スウェーデンだったら「スウェーデン語」ですけど)の教師たちは生徒が何か書いたら必ずそれを読んで(頼まれたら)コメントしてくれます。当たり前ほどのことでした。その教師はそれを宿題として認めているわけではないのに読んでコメントしてくれるだけでなく、時間がかからずに早速その書いた物を戻してくれるのが普通でした。ありがたい気持ちはもちろんありましたが、ビックリはしませんでした。そういう人だから、教師っては、と思ってしまいました。甘い。 考えてみれば、一回だけスウェーデンの教師は僕が書いた物を長い間が経ったのに戻さなかったことがあります。それは何かのシーンを演劇の先生に渡したのですが、先生は戻さないことにして、僕はいつの間にか渡したのを忘れました。数年後、その書いた物を再び読もうとしたら「コレって、意味ないし。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない」と解ってしまって、先生の行動をやっと理解出来ました…きっと「どうやってこの馬鹿な物を返すのかい」と思ったはずです。 「先生、僕のシーン、読みましたか?」 「あ…はいはい、読んだよ。」 「どうですか?」 「人生の10分を無駄にされたよ、馬鹿小僧。」 まあ、過去は過去ですね。 その半面、ワザと先生の嫌いなものを書いたこともあります。小、中学校のときだったが、先生が嫌いと解って出したものも、早速返ってきました。例えば中学校の先生に「人殺し等書かないでくれると嬉しいけどね」と言われたら物凄く血祭りのようなのを書いて、それに「4/5」という成績がもらいました。「嫌けど良かった。」って。 先週、日本の総選挙が行われていたのでその選挙について千文字ぐらいのものを書きました。簡単に言えば、日本では参加率が非常に低いからもう一度民主主義の大切さを考えましょうというテーマでした。いつも先生たちに「何かを書いて、新聞に出してください」と言われるからこれを出そうと思いました。だが、僕は気を悪くするつもりがもちろんなくても一応日本人に読んでもらいたかったので作文の先生にそのものを渡しました。何日間が経った後同じ先生と会いました。 「いつ戻してほしい?」と先生。 「前に言ったけれど選挙は今度の日曜日ですから…」と僕。 「あ、はい、解った。」 で、その日曜日が近付いても、その日曜日になっても、その日曜日の一週間後の日曜日になるところでも、結局その書いたものはまだ戻って来ません。 彼女と相談したら日本の教師は別に生徒達の意見などに興味がない感じがするそうです。他に色々なところで「仕事」という感じがスウェーデンの教師と比べたら強いだと僕も思います。まあ、その書いたものはすごく面白くなかったから先生のやる気がなくなったか、先生は基盤では興味を持っていない(仕事は仕事の決まった時間だけ)か、先生が忙しくて出来なかったか、何れにしてもその書いたものは書く練習以外に何にもなりませんでした。僕だったら、外国人の生徒がスウェーデンの総選挙についての意見を書いて僕に直してほしかったらどんなに悪くてもそれを無視はしません。 千文字はそんなに面倒くさいのでしょうか…

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