合っていないのに一般に合っていると思われている観念 2
Wikipediaの「List of common misconceptions」から: 金魚は何秒しか覚えられないというのは違います。 (The notion that goldfish have a memory span of just a few seconds is false.)
Wikipediaの「List of common misconceptions」から: 金魚は何秒しか覚えられないというのは違います。 (The notion that goldfish have a memory span of just a few seconds is false.)
新年明けましておめでとうございます! 日本では「祝い機会さえあれば」という感じで、お祭りや祝日がたくさんあります。人々が深刻にそれを過ごすのを見れば、スウェーデンと異なっているのが解りました。例外もあるが、スウェーデンでは祭りなどがあまりなくて、ある祭りの祝いはバカバカしいと皆が思いながら「子供たちのため」で行うことが普通のです。 クリスマスと年末は特別です。日本と反対に、クリスマスは家族と、年末は友達との時間です。 ところが、スウェーデンで「新年明けましておめでとうございます」はクリスマスの前か後かによると言い方が変わってくるのです。クリスマスの前に、「God jul och gott nytt år」(メリークリスマス、アンド新年明けましておめでとうございます)。クリスマスの後から31日24時までならば、「Gott nytt år」。 スウェーデンの年末の特徴は花火です。一年中にこのとき以外花火を買うことが出来ないので、少しでも興味のある人であれば、バカほど買って、31日零時の前の何時間(何日間)それを打ち上げて、零時に近づくと共にだんだんペースが上がっていって、やっと鳴ると世界が爆発するかのようです。 メチャクチャで素朴ですけど、気に入っています。 昨日お姉ちゃんたちとお兄ちゃんと一緒にお姉ちゃんの家でいました。ベランダから見える花火の写真を撮りたかったんですが、満足でもないのです。
帰国しました。すると、スウェーデンの恋しかったところを味わえたのですが、悪いところも足の早い去年冷蔵庫の中に忘れてあった食べ物かのように出てきて、「一回ぐらい、途中で帰れば良かったのに…」と思いました。日本のいいところが普通になって、その良さを忘れてしまいました。勉強になりました。 ところで、帰る前にずっと悩みました。iPhoneを買おうと思いましたが携帯があるのに新しい携帯を買うって、可笑しいと思ったから買いませんでした。しかし、スウェーデンでiPhoneを買ったら日本語が使えるかどうか微妙でした。ネットで何もはっきり書いてないし、いろいろ変なことをしなければ出来ないかなと思いました。帰国したら、前の携帯の契約はもちろんなかったから新しい契約を作ろうと思いました。スウェーデンでは契約を作るとき、携帯は安く買えるからちょうどいいと思いました。で、iPhoneを買いました。 携帯はスウェーデン語だから、スウェーデン語のメニューでいうと、 Inställningar > Allmänt > Internationellt > Tangentbord > Japanska > KanaかQWERTY(好みで) スウェーデンじゃなくてもいいけど。例えばイギリスかアメリカに住んでいる人は日本語を使いたかったら英語で言うと、 Settings > General > International > Keyboard > Japanese > KanaかQWERTY です! すごく簡単でしょう。ビックリしました。 しかも、日本語でSMSとか普通に送ることができるし(自分にSMSを送って見ました)、日本の携帯と同じ感じです。 買って良かった~!
スウェーデンの一番有名なことは多分この四つぐらいです。 金髪の(女の)人 皆はエッチが好き 社会医療制度 男女平等 大体その順番で。スウェーデンに行ったことのある人では後一つ増える可能性が高いのです:「サービスが最悪だ」。 一般的にお店に入っても店員達の「いらっしゃいませ~」どころか、誰にも何の反応もありません。レジで買いたいものを置けると「ありがとう」と言われないし、笑顔もしてもらわないのが驚くことではありません。店員と客が喧嘩するのも時々あります。「お客様の意見はいつも正しい」とか、そういう考え方はありながら、なかなかありません。 日本では店員対客だけではなく、社会中にいつもどこでも礼儀正しさが大切にされているでしょう。一方スウェーデンでの「礼儀正しさ」というのは「目立つな」と意味されています。一人で外にいる場合では「目立つな。話すな。」という感じです。これは得にストックホルムの状況ですが、似たような話はスウェーデンのあらゆる所から聞いており、自分で北の方に住んでいた時にもそう感じられました。 日本人の友達によるとその礼儀正しさはどこまで及ぶかといえば、目上の人と話すとき、相手の言っていることに賛成ではなくても時々賛成だというようなことを言った方が良いのだそうです。相手が困ることはしてはいけないわけです。同じようにお酒が飲めない人であっても会社のパーティーに参会せざるを得ないだけではなく、上司や先輩が自分のコップを注ごうとしたら断ってはいけません。僕にこれはちょっと解りにくいことです、やっぱり。 いらっしゃいませ! ありがとうございました! またお越し下さいませ! お待たせしました! 失礼します! 今まで何回言われたのでしょうか。最近コンビニによく寄るのでせめて一日二、三回ぐらいでしょう。何百回にまで上りますね。 しかし、店員の笑顔と店員の言葉は、店員の気持ちと関係がありません。言うべきであれば言う、すべきであればする、そう考えて動きます。スウェーデンでも子供たちがおばあちゃんからプレゼントをもらうとき必ず喜ばなければならない(どのぐらい馬鹿馬鹿しい物であっても)とか、カップルが人の前で喧嘩をしてはいけないとか、色々あるのですが、量も程度も違います。スウェーデンが本当の気持ちを大切にしているというより寧ろ、日本がそれを大切にしていないという感じがします。 「またお越し下さいませ」と言われても、相手が本当に「また来たらいいなぁ」と思うはずがありません。行ってほしいどころか、忙しい日には行かないでほしいのではありませんか。「失礼します」と言われると「本当に失礼だと思ったらしないでよ」と言いたくなります(ちょっと悪戯っぽい感じですが、それは…)、「お邪魔します」というのも、邪魔すると思うのならするなって感じです。 上の例文は全部言い方だけで、意味が違うからその意味が伝わっているのならそれでいいのだと、僕も解ります。実は「お邪魔します」とか「失礼します」とかは面白い言い方だと思いますし、嫌いでもないです。だがポイントは「これはダメだから止めましょう」のではなく、「自分の気持ちを伝えるのがどこにいったのでしょう」というのです。 友達と一緒にいるとき、自分の気持ちを見せると言ってもそれは必ずしもそうでもないです。民主主義に参加できなくても友達の意見を影響することが出来ないのではないかという話をしたとき、「多分、相手が正反対だとしても『そうですね~』とかニコニコしながら言うから話にはならないよ。」と言われました。 実状はどうか知りませんが(調査など行ったわけないし)、これは問題なのではないかと思ってしまいます。
スウェーデンでは、教師である人々は一般的に生徒たちの意見や考え方に興味があります。全然興味がなく、ただ仕事だと思っている教師もいるでしょうが、僕はそういう話は聞いたこともなく、そういう教師と遭ったこともありません。特に作文(スウェーデンだったら「スウェーデン語」ですけど)の教師たちは生徒が何か書いたら必ずそれを読んで(頼まれたら)コメントしてくれます。当たり前ほどのことでした。その教師はそれを宿題として認めているわけではないのに読んでコメントしてくれるだけでなく、時間がかからずに早速その書いた物を戻してくれるのが普通でした。ありがたい気持ちはもちろんありましたが、ビックリはしませんでした。そういう人だから、教師っては、と思ってしまいました。甘い。 考えてみれば、一回だけスウェーデンの教師は僕が書いた物を長い間が経ったのに戻さなかったことがあります。それは何かのシーンを演劇の先生に渡したのですが、先生は戻さないことにして、僕はいつの間にか渡したのを忘れました。数年後、その書いた物を再び読もうとしたら「コレって、意味ないし。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない」と解ってしまって、先生の行動をやっと理解出来ました…きっと「どうやってこの馬鹿な物を返すのかい」と思ったはずです。 「先生、僕のシーン、読みましたか?」 「あ…はいはい、読んだよ。」 「どうですか?」 「人生の10分を無駄にされたよ、馬鹿小僧。」 まあ、過去は過去ですね。 その半面、ワザと先生の嫌いなものを書いたこともあります。小、中学校のときだったが、先生が嫌いと解って出したものも、早速返ってきました。例えば中学校の先生に「人殺し等書かないでくれると嬉しいけどね」と言われたら物凄く血祭りのようなのを書いて、それに「4/5」という成績がもらいました。「嫌けど良かった。」って。 先週、日本の総選挙が行われていたのでその選挙について千文字ぐらいのものを書きました。簡単に言えば、日本では参加率が非常に低いからもう一度民主主義の大切さを考えましょうというテーマでした。いつも先生たちに「何かを書いて、新聞に出してください」と言われるからこれを出そうと思いました。だが、僕は気を悪くするつもりがもちろんなくても一応日本人に読んでもらいたかったので作文の先生にそのものを渡しました。何日間が経った後同じ先生と会いました。 「いつ戻してほしい?」と先生。 「前に言ったけれど選挙は今度の日曜日ですから…」と僕。 「あ、はい、解った。」 で、その日曜日が近付いても、その日曜日になっても、その日曜日の一週間後の日曜日になるところでも、結局その書いたものはまだ戻って来ません。 彼女と相談したら日本の教師は別に生徒達の意見などに興味がない感じがするそうです。他に色々なところで「仕事」という感じがスウェーデンの教師と比べたら強いだと僕も思います。まあ、その書いたものはすごく面白くなかったから先生のやる気がなくなったか、先生は基盤では興味を持っていない(仕事は仕事の決まった時間だけ)か、先生が忙しくて出来なかったか、何れにしてもその書いたものは書く練習以外に何にもなりませんでした。僕だったら、外国人の生徒がスウェーデンの総選挙についての意見を書いて僕に直してほしかったらどんなに悪くてもそれを無視はしません。 千文字はそんなに面倒くさいのでしょうか…
何らかの理由で、僕はよく一人で旅行をします。一番初めてなのは15歳のときで、イギリスとスコットランドへ行きました。一人といっても、イギリスに友達がいて、一緒にスコットランドに行ったのですが、国を出たときと帰国したときは一人での体験でした。その後何回も、アメリカとカナダの色々な所へ一人で行きました。オンタリオ、フロリダ、ジョージア、オハイオ、ウィスコンシン、インディアナ、カリフォルニア等。そしてノルウェーやフィンランドにも行ったことがあります。 ところが、新しい所に着く旅、「あぁ…何か違うよね…」と思います。その違いは微妙か大きいか、どちらにしてもないことはまずありません──その違いが必ず感じます。「この場所の味」とか、考えてしまいます。おじいちゃんやおばあちゃんのように。 欧米の色々な所を体験してきましたが、アジアのどこにも行ったことがなかった状態で日本に来ました。京都、大阪、奈良。今まで(特に円高の所為で)そのぐらいです。それだけでも大阪のバーに入った途端…「矢張り。違う。」と感じました。 周りの人たちの態度というか、街の息の仕方というか、自分の心の中にある不明な願いというか、いずれにしても違います、京都とは。 アメリカに三ヶ月住んでたとき、新しい微妙な違いが毎日出てきてビックリさせました。「いやぁ、難しいっすね」と思って半分魅力半分疲れで体験し続けました。疲れ切られる、矢張り。何回も自分が「正しい」と思っていることが違ってくると再び行動を習わないといけないのは。疲れ切られるが、完璧に自分の国と同じであれば意味がなくなるのではないでしょうか。矢張り旅行に行くと、自分が知っている範囲と違わなければ面白くないと思います。違う国を直接体験するのは非常に大切だと考え始めたきっかけはこの違いを感じたことです。経験すると脳が広がると解りました。「絶対にこうだ」と考えていたことが違う国にそうではないと解ると。問題を解決するには様々な方法があり、その問題を越えたとしても、もっと良いやり方が必ずしもないわけではありません。 アメリカは大きな大陸ですから、普通に一般的なアメリカ人が旅行に行こうと思っているときに「どの国がいい」と考える前、「どの州がいい」と考えるみたいです。いくつかの理由がありますが、一回目は値段、二回目はアメリカの中の州が違う国ミタイということです。現に、ヨーロッパの人に「どこに行ったことがありますか」と聞いたら、国のリストが返事に返ってくるが、周りのアメリカ人に聞くとアメリカにある州のリストが返ってくるのが普通です。州のリストが返事に戻ってくると必ず「で、国は?」と僕が聞いたら、「アメリカだけ」と言われます。まあ、アメリカの外には行ったことがなかったら誰でもそうでしょう。 「どこに行ったことがありますか。」 「アメリカ。」 「…」 面白い話でもないですね、それは。 逆に、スウェーデン人がスウェーデンの県のリストで返事したら… 「どこに行ったことがありますか。」 「ストックホルムとスンドスワルとヨテボールジュとウエルムランドと…」 「あの…」 「ゴットランドと…」 「…あの…」 「スコーネと…」 「…お~い!」 って感じになるでしょう。スウェーデンが大好きな相手ではなければ。 実はアメリカの州が本当に違います。ジョージアとカリフォルニアを比べたら同じところがすごく少ないです。ですからアメリカの州は50個の国だと考えてしまえば許せることでしょう。しかし、州と州の違いがどんなに多くても大きくても、同じ国であればベースも同じで、「人間の質だ」と考えてもその国の習慣に過ぎないことがあるはずです。この間違えは違う国に行かなければ理解できないと思います。 但し、日本に来て以来、欧米の国々が違うと思おうとしてもなかなか思えなくなってしまいました。なぜなら欧米の知っている各地と京都との違いが大き過ぎて多過ぎて、欧米の中の国の違いが「ファミリーマートのツナたまごサンドと、サークルKのツナたまごサンド」の違いぐらいとなってしまいました。違うかもしへんけどようわなんないって感じですね。 青、赤、みそ汁。 りんご、オレンジ、空港。 犬、猫、歯磨。 これは多分半分以上僕の頭のお負けだと思います。欧米の国々はそれぞれの特徴があるはずで、僕はある国に行ったことがあるとしてもその国の特徴が感じていない場合も必ずあります。ここ日本にいるうちに、ここの違いが毎日のもので、過去に体験した欧米にある国のそれぞれの違いは思い出に過ぎないのです。 結局アメリカとスウェーデンの同じところを「人間の質だ」と判断してしまったことは、日本に来たら「欧米方」へ変わりました。さて、欧米と日本の同じところが人間質か欧米日本質かどこに行けば解るでしょうか。アフリカかな?その後は?…宇宙に決まってんねんって言えましょう。
えと、僕のブログへようこそ!と言ったら良いのではないか、と思う者もいるはずです。が、それより僕って誰。カレって誰。 僕はカレ(Kalle)と申します。どうぞ宜しくお願い致します!スウェーデンのストックホルムから参りまして、2008年の前半京都で日本語を勉強しに来ました。色々な経験が出来た上、言いたくなったことがどんどんと溢れてきましてこのブログを作りました。 このブログは、簡単に言ったら「外国人の僕の日本」という感じで書くつもりです。しかし「日本」といっても、「京都」と言った方が良いかも知れませ ん。京都の人と違う地方の人とは、別の国の人だと思われるほど違ってきます。よね?矢張り。欧米のヨーロッパの北欧のスウェーデンで育ってきた僕は、アジ アの日本の京都の人々を見ると、何の特徴であるかを別として、一般的な行動や意見ややり方や考え方が間違いなく出てきます。おばあちゃんおじいちゃんに も、お父さんお母さんにも、会社員さんにも奥さんにも、システムを嫌っている若者にも(悔しいだろう、若者たち!)、女にも男にも僕の世界にはないこと が、ここに当たり前なのです。その当たり前ではない当たり前なことは、アジアのことなのか、日本のことなのか、京都のことなのかは、相手の家族のことなの か、全く解りません。「これはアジアスタイルやで~」等言われても、それは本当かどうかの判断は僕には出来ません。 取り合えずそういう自分の世界には当たり前ではないのにここには当たり前だということにまた遭ったと解ると、必ず、かなり、ビックリします。そして 一年半後ぐらい、ブログを作りたがって来ます。「周りの人たち、これで良いのかい?」とときには言いたくなりそうですが、言っても当たり前なことですから 仕方が有らぬ、と言われそうです。それより一番悔しいなのは、時間がかかるといつの間にか自分も当たり前だと思い始めます。そして自分が当たり前だと思っ ていた制度がちょっと斜めに見えてきます。 日本に来る前、ジェンダーとエスニシティ等を勉強したので、「日本人はこうだよ」や、「女はこうだろう」という様なことは言わないです。が、一般的なイメージ、「そういうタイプをそういう場合でそういう状態で会うと、必ず…」という意見はいくつかあります。 ブログを作ってしまったが、日本語はまだまだですので、変なところで頑張って頭の中に翻訳してくれて、どうもありがとうございました。それでも解ら なければ、コメントで聞いて下さいませ。僕の日本語にも役立ちとなりますので、喜んで直しに飛び出します。それでせっかく読みに来てくれたのに解らずに済むとは、残念でたまらないでしょう。特に僕には。