悔しいですね…
「注意 最何か行」 最徐行の「徐」を忘れましたので、注意すればいいのが解りましたが…何をどうやって注意すればいいか解りませんでした。悔しかったのです… (調べたら「ゆっくり走ること」という意味ですから歩行者の僕には関係ありませんでした。)
「注意 最何か行」 最徐行の「徐」を忘れましたので、注意すればいいのが解りましたが…何をどうやって注意すればいいか解りませんでした。悔しかったのです… (調べたら「ゆっくり走ること」という意味ですから歩行者の僕には関係ありませんでした。)
僕の誕生日です! 明日。 ですけど21日彼女と彼女の両親と一緒にうまくて死んでもええやんって想うほど美味しい焼肉屋さんに行きました! いつも通りにママさんと二人でビールを一杯飲んだし、皆で一杯食べたし、幸せな日でした。僕はいつもそういうのがプレゼントより絶対いいと想う人ですから「誕生日に何が欲しい」と彼女に言われたらそれが欲しかったのです。 次の日、彼女と超美味しいラーメンを食べに行きました。ラーメンとチャーハンとギョウザっていい組み合わせだな、やっぱりって想いました。 今日彼女と家でホットプレートでホットケーキを作りました(何か「ホット」がありすぎって気がしますな、その文には…可笑しいなぁ)。美味しかったのです。熊やウサギの形のホットケーキが食べませんでしたのに! 食べ物バッカリの話になったんですけど、これ。まあいいや、僕の誕生日やし。
言語を習うときに文化の違いが邪魔になるのはなかなか解りにくいことではないですか。僕は日本語を勉強しながら英語を教えているので違う視点だとしても両方が見えています。 例えば「有難う」と「済みません」では、英語で「I’m sorry」というと、「ごめんなさい、私が悪かった。君がしたくないことをさせた」という意味しか現れていません。だが日本語の「済みません」の中に「ごめん」も「有難う」も両方入っています。ですので相手が自分に何かをしてくれるとき、「済みません」とも言えます。これは英語で話しているときに漏れてしまっています。 先日知らない女の人がフォルダーを落としました。僕がそれを取って渡したら女の人は「I’m sorry」と言って続きましたが、それに「有難う」が全く入っていないので感謝という気持ちが全然伝わっていませんでした。解ったけれども「解ってあげた」って感じです。「I’m sorry」ではなく、「Thanks」の方が良かったのに、とそういうときにいつも思います。 そういう「低いレベル」のところは時々一番難しいのではないかと思います。有難うと済みませんとは子供でも解る言葉でありながら大人でも解らない言葉であるのでしょう。逆に日本に住み始めてから、「済みません」と言われるときどうすればいいか相当後にやっと解りました。 ある時日本人の友達に英語の文章の翻訳をしたり、説明したり、ネットで調べたりしてあげました。「有難う」と言おうとしたはずで、「迷惑をかけて申し訳ないです!」という風に英語で言いました。「I’m sorry to be a burden to you.」のような文でしたが、そう言われたら怒りを抑えなければなりませんでした。相手の為にそんなに努力してたのに「有難う」がないとはどういうことかいって思ってしまいました。一瞬の間。それでいつも通りに解ってあげました。 違うとき、違う友達が英語の質問があって会いたかったけれども僕がその日に会えませんでした。友達が「解った。わがままで済みません。」(”Ok, I am sorry for my selfishness.”)と言いました。これはちょっと違いますが間違えは同じです。 何が問題かというと、相手に謝ると相手がしたくないという意味がします。微妙だが、喜んでしてあげると思う人に「I’m sorry」と言ったらその喜びがないはずだと意味します。それは時々相手が悪いという意味にもなります。「こんな小さなことなのに私が嫌だと君が思う?ケチじゃないよ、私…」と相手が思ってしまいます。 謝りたいと「I’m sorry」。感謝したいと「Thank you」。それだけです*。 (* 例えば「I’m sorry to put you through all this」とかは有難うとして使えますがそのレベルで話しているのなら「I’m sorry」と「Thank you」がもう別けることができるはずです。)
スウェーデンでは、教師である人々は一般的に生徒たちの意見や考え方に興味があります。全然興味がなく、ただ仕事だと思っている教師もいるでしょうが、僕はそういう話は聞いたこともなく、そういう教師と遭ったこともありません。特に作文(スウェーデンだったら「スウェーデン語」ですけど)の教師たちは生徒が何か書いたら必ずそれを読んで(頼まれたら)コメントしてくれます。当たり前ほどのことでした。その教師はそれを宿題として認めているわけではないのに読んでコメントしてくれるだけでなく、時間がかからずに早速その書いた物を戻してくれるのが普通でした。ありがたい気持ちはもちろんありましたが、ビックリはしませんでした。そういう人だから、教師っては、と思ってしまいました。甘い。 考えてみれば、一回だけスウェーデンの教師は僕が書いた物を長い間が経ったのに戻さなかったことがあります。それは何かのシーンを演劇の先生に渡したのですが、先生は戻さないことにして、僕はいつの間にか渡したのを忘れました。数年後、その書いた物を再び読もうとしたら「コレって、意味ないし。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない」と解ってしまって、先生の行動をやっと理解出来ました…きっと「どうやってこの馬鹿な物を返すのかい」と思ったはずです。 「先生、僕のシーン、読みましたか?」 「あ…はいはい、読んだよ。」 「どうですか?」 「人生の10分を無駄にされたよ、馬鹿小僧。」 まあ、過去は過去ですね。 その半面、ワザと先生の嫌いなものを書いたこともあります。小、中学校のときだったが、先生が嫌いと解って出したものも、早速返ってきました。例えば中学校の先生に「人殺し等書かないでくれると嬉しいけどね」と言われたら物凄く血祭りのようなのを書いて、それに「4/5」という成績がもらいました。「嫌けど良かった。」って。 先週、日本の総選挙が行われていたのでその選挙について千文字ぐらいのものを書きました。簡単に言えば、日本では参加率が非常に低いからもう一度民主主義の大切さを考えましょうというテーマでした。いつも先生たちに「何かを書いて、新聞に出してください」と言われるからこれを出そうと思いました。だが、僕は気を悪くするつもりがもちろんなくても一応日本人に読んでもらいたかったので作文の先生にそのものを渡しました。何日間が経った後同じ先生と会いました。 「いつ戻してほしい?」と先生。 「前に言ったけれど選挙は今度の日曜日ですから…」と僕。 「あ、はい、解った。」 で、その日曜日が近付いても、その日曜日になっても、その日曜日の一週間後の日曜日になるところでも、結局その書いたものはまだ戻って来ません。 彼女と相談したら日本の教師は別に生徒達の意見などに興味がない感じがするそうです。他に色々なところで「仕事」という感じがスウェーデンの教師と比べたら強いだと僕も思います。まあ、その書いたものはすごく面白くなかったから先生のやる気がなくなったか、先生は基盤では興味を持っていない(仕事は仕事の決まった時間だけ)か、先生が忙しくて出来なかったか、何れにしてもその書いたものは書く練習以外に何にもなりませんでした。僕だったら、外国人の生徒がスウェーデンの総選挙についての意見を書いて僕に直してほしかったらどんなに悪くてもそれを無視はしません。 千文字はそんなに面倒くさいのでしょうか…
今朝仕事に歩いて行っているとき、あるお年寄り(観光客のはず)が急に僕の写真を撮りました。 …まあ、撮られたことが何度もあります。撮ったことも何度もあります。何かの写真を撮ろうとしたら、知らない人が写真に出てしまったりするときが誰にでもありますね。仕方のないことです。 …だけど1メートル以内の距離で、完璧に僕の頭を中央にして撮られました。「お金下さ~い」と言いたいほどでした。